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​『Ⅲ.​ 逃避

『次は、弁天町、弁天町駅です』
電車内の機械的なアナウンスが微睡みの向こうへと旅立っていた創を引き戻した。
「…ああ、次か……」
座席頭上に置いていた旅行用の大きめなバッグを下ろしてまた席に座りなおす。現実に帰ってきてしまうと今、自分が置かれている立場をまざまざと思い出させられて深い溜息が出る。目的の町へはあと少しだった。

あの時、絡んできた奴等からナイフを突きつけられてから、ごっそり記憶が抜け落ちていた。気がついた時に目の前に広がっていたのは連中が皆一様に床に伏せ、呻きながら身体から血を流す地獄絵図だった。そういう自分はまったくの無傷で、そして───その手には先程まで創に向けられていたナイフが握られていた。血糊をまとわりつかせながら。
呆然と立ち尽くしている間に、甲高い叫び声が辺りに響き、いつのまにか創の周りには騒ぎを聞きつけた人だかりが出来ていた。
先程まで絡まれていた状況、血を流しながら倒れている生徒たち、そして中心に立つ血に濡れたナイフを持った自分、誰が見てもこの状況は言い逃れができない。群衆をかき分けとうとう教師達が現れる声を、創は何処か遠くに聞いていた。

創が不当に絡まれていたという当時の状況を見ていた証言者の生徒や、相手がナイフを持ち出していたこと、「問題児のグループ」だったこと、それらを勘案されて『過剰防衛になってしまった』という方向性で話しがまとまったらしい。らしい、と伝聞調子なのは自身でもわからない間に話がまとまっていたからだ。ただなんとなくわかることは、父親と学校の間で何らかの動きがあったことだった。学校側は「生徒同士の傷害事件が起きた」というマイナスイメージが付くのを避けたいし、父親は自分の子供が起こした事が表沙汰になりたくない。今やすっかり大病院のトップクラスに上り詰めていた父親から手を打ったのだろう。あまり褒められない形で。
それにしてもあれ以来、植え付けられた創への印象そのものがクラスメイト間の中で変わるわけでもなく、結局すぐ逃げ出すように転校を余儀なくされた。正直なところ今の学校でこのまま過ごしていてもやり辛いだけだったので創としては有難いことではあったが、「傷害事件を起こしての転校」という事実が創を苛む。どうしてこんなことに……と思い悩む事はなく、至る答えは一つだった。
「出流………」
手の中にある《お守り》を握り締めながら自分自身に向けて問い詰めるように呟いた。同時に電車は目的の地、弁天町駅へ滑り込んでいく───。

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