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​『Ⅱ.​ 奏遇

「あの…!アルジュナさん!」

変わり映えのない白無地の、静かなカルデアの通路の真ん中で、自分を呼び掛ける控えめな声がする。振り返るとそこにはマシュ・キリエライトが立っていた。

「何でしょうか?」
「先輩を見かけませんでしたか?午後から一緒に書庫へ行きたいと仰っていたのですが、待ち合わせ場所のラウンジにいなくて…」

そう思案げに言葉を紡ぐ彼女はいくらかの書類を抱え持っていた。

「私、もう少し事務作業に時間がかかりそうで…それを伝えようと思ったんですが、部屋にいるんでしょうか……?」

静寂を引き裂くように「マシューーー!!」と遠くから現行のカルデアを統括するダ・ヴィンチの明朗な呼び声が聞こえてくる。その声に慌てるようにこちらとあちらと顔を動かす彼女へ私は提案を投げかけた。

「頼まれましょうか?」
「え、でも…アルジュナさんも何か用事があったのでは…?」
「別に構いませんよ。方向は同じですから」

マスターやカルデアからの指示が無い時の手持ち無沙汰なサーヴァント達は思い思いの1日を過ごしているが、武芸に特化したサーヴァントはカルデア内に設けられたシミュレーターで鍛錬を重ねることが多い。人理修復に至ったとはいえ細かな特異点が現れる度にサーヴァント達は出動せねばならない。そのためには欠かす事のできない日課───そして、マスター立香の部屋はその道すがらにあった。そこでマシュに呼び止められたのだ。向かう先が同じなのだからここは動ける自分がまとめて片付けてしまえばいい。

「ほんとう、ですか…すみません!お願いしてもいいですか…?」
「勿論。さあ、向こうでお待ちかねですよ」

私が促すと彼女はぺこりと頭を下げ「先輩には!すぐに終わらせてくるのでって伝えてください!」と言いながらダ・ヴィンチの元へ走り去っていった。軽く見送り、踵を返し改めて立香の部屋に向かう。
朝食を終えて昼になりきらない時間帯。食堂で顔は合わせたので、おそらくは一旦部屋に戻っていると見て間違いないだろう。
立香の部屋の前に立ち、軽くドアをノックする。

「マスター、立香。いらっしゃいますか?」

…返事はないが、ここに立香がいるのは間違いない。気配を感じ取れるからだ。おおよそ食後で微睡んでいるところかもしれない。気後れするが、伝えるべきことは伝えておかねばなるまい。私はそのまま扉のキーロックに手をかざした。

『非常時ってこともあるし、一度ノックをしてからだったら誰でもキーロックを開けて入っていいよ。…も・ち・ろ・ん!ノックをしてからだからね?ノックせず私の部屋に入って来た覚えがある方々は心に留めて置くように!!』

───とサーヴァントを含むカルデアの従事者達に宣言したのは彼女だった。例に漏れず私もその1人である。
開いた扉を静かに潜ると、簡素な部屋のベッドの上で扉を背にして横になっている立香の姿を捉えた。

「……失礼します」

寝息を立てる立香の肩口にそっと触れ、ゆり起こす。

「立香、すみません。起きて頂けますか?」
「ん……」

返事とも吐息とも取れない声を漏らし、緩やかに立香は覚醒した。人の身であるために休息が必要であるとはいえ、ここカルデアの主要なマスターとして任務をこなす彼女には深い眠りの約束が果たされることは少ない。染み付いた習慣ゆえか、いっそ可哀想なくらいに彼女の寝覚めは良い方だった。
……が、今日立香が見せた姿は、あの日私が巻き込んでしまった“悪夢”の後ですら見なかったものであった。
自身を起こす人影に気付くや否や立香は飛び跳ねるように起き、後ろへと引き下がった。勢いよく下がったおかげで立香はあわやバランスを崩しベッドから転落しそうになる───。

「───あ、わわ…っ…!」
「立香!」

私はとっさに立香の腕を掴み体勢を戻す。逆方向に勢いがついた立香はそのままベッドにしがみついて動きを止めた。……そうやって、先程の慌ただしさが嘘のように静まり返る。先に声をあげたのは立香だった。

「あ、アルジュナ…?」
「はい、アルジュナです。大丈夫ですか?立香?」

そこで自身の置かれている状況に気付いたのかサッと身を起こし、目を白黒させながら謝罪の言葉を述べ始めた。

「あ、…っ!私は大丈夫!!っていうかアルジュナこそごめん!!私を掴もうとしたばっかりになんか、手とか変なことなってない!?」
「何ともありませんよ。まず私はサーヴァントですから。こんな事でどうこうすることはありませんし、仮にあったとしてもすぐに戻りますよ」
「ま、まあ…それは理屈でわかっちゃいるんだけど、気分的にさ…」

弓を扱うんだしお手手は大切じゃん…?とボソボソ呟きながら立香はベッドの上に座りなおす。

「……差し出がましいようですが、今のは傍目から見ても尋常ではない驚き方でしたよ」

何かあったのか?と暗に告げると立香はややバツが悪そうに答えた。

「あ、あーーーっと…なんか…変な夢を見てて…?ちょっと驚いちゃっただけ…」
「夢……?」

“夢”、一般的な人々が見る夢であればさておき、数多のサーヴァントと契約を果たすマスター、立香が見る夢となると別だ。魔力供給という形で繋がり続けるマスターとサーヴァントは時に夢を共有する。話として聞くだけだった私ですら最近、身をもって体感する出来事が起きた。それはつつがなく終わった今だからこそ何のてらいもなく思い出せるものだが、内容だけ見れば限りなく最悪な形で立香を巻き込んでしまった。あの時を思い出し、自然と顔が強張っていく。

「それは…どんな夢だったんですか?」
「うぅ…ん…余計な心配をかけないように説明したいのはやまやまなんだけど~何だかこう起きてみると変な夢っていう感想は出てくるんだけど具体的な部分が思い出せなくて…」
「そうですか……」

見る限りこちらへ気遣ってフリをしているわけではなく、本気で覚えていないらしかった。しかしわからないというのもそれはそれで不穏である。
私が怪訝な顔を隠しもしなかったため、戸惑って視線を彷徨わせていた立香だったが、何かを思いついたようにハッとした顔でこちらを見た。

「あ、っていうかアルジュナがどうしてここに?何か御用?」

今度は私がハッとさせられる番だった。そうだ。私がここに来た理由をすっかり忘れていた。

「ああ…申し訳ありません。それが主目的だったのに…実はマシュに頼まれまして。貴女を探して欲しいと」
「私を…あ、えっ?今何時!?うわあ~!もうこんな時間!?寝過ごしてるぅぅぅ…ちょっと仮眠のつもりだったのに…」

時間を見るために手に取ったスマートフォンを掴んだままガックリと項垂れる立香へ貰い受けた伝言を続ける。

「ご安心を。彼女はまだ事務作業を終えるまで少し時間がかかると仰っていましたから。ただ当初の約束の時間に待ち合わせ場所に貴女がいなかったために、それを伝えられなくて困っていたみたいですよ。」
「そうなの……?それでもアルジュナまで駆り出しちゃってるし…とりあえずごめんね…!マシュにも謝んないとなあ…。」
「私が進んでやると言ったことですから、お気になさらず。」

慌ただしく身支度を整える立香から離れて、さて自分も本来の目的の場所へ移動せねばならないと廊下への扉に近付く。

「……あ、」
「……どうしました?」

何気なく声を漏らした立香は、こちらを困惑した顔で見つめていた。

「私に何か?」
「……えっ、と…ひとつ思い出したことがあるの、さっきまで見てた夢の内容。」

意外な言葉に私はやや食い気味に次の言葉を急かした。

「何ですか?」
「…『アルジュナによろしく』って、言ってた。」

突然私の名前が出てきて、今度は私が困惑する番だった。

「…私に、誰が……?」

あまりにも在り来たり過ぎる返答をしてしまったためか、立香は慌てたように「そうだよね、ごめん、気のせいかも…。」と否定を始めたが、立香の様子を見るに気のせいなどでは無いのだろうと思う。

「いいえ…恐らく確かなことなんでしょう。ただそれならば貴女は私を知っている誰かの夢を見たのだということになりますね。場合によっては私とも既知の者の。」

様々なサーヴァントが集まっているカルデアにおいては『既知』となる者はかなりの人数いるわけだが、この立香の様子を見るにカルデア内には該当者はいなさそうであった。

「うーん…そう言われてすぐ出てくるのはカルナなんだけど、そうじゃないのだけは断言できるんだよねえ……。」
「…そうですか」

そのまま黙りこくってしまった立香を見て、この調子では詰問したところで出るものも出てこないだろうと判断した私は流れに任せてみることに決めた。

「夢の件ですが、何か気がつく点がありましたら…少しでも良い、教えてください。私でも、もちろん今から会うマシュでも」
「うん、わかった。…ごめんね、変に心配かけちゃって。シミュレーターに行く予定なんでしょ?いってらっしゃい!」

常の笑顔を見せた立香は、そのまま私と同時に部屋を出る。去り際の瞬間───彼女から蓮香の匂いがした。

「え…………?」

その匂いに気を取られてろくに返事もできなかったが、立香は気にする様子もなくその背を小さくして行く。私は呆然とそれを見届けていた。彼女は特段、香を焚く様な趣味は持ち合わせていなかったはずだ。それにこれは………。

『アルジュナによろしく』

いまだ周囲に香る蓮香と共に、立香が夢の中で聞いたと言った言葉がリフレインする。



「………クリシュナ…?」

自身の弱さが生み出した内なる紛い物ではない、生前の私の側に常に在り、私の戦いを支えてくれていた御者、莫逆の友の真名をーーー思わず呼びかけていた。まるでそこに居るかの様に。

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