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​『夜の公園で視線を下に落としたまま、君は私に「おやすみ」と言いました。

岩盤に覆われた東京には朝も夜もないが、その上で長く朝を迎え、夜を受け入れた生活を送ってきた自分たちの身体は、どうやらひとつの規則性を作り出しているらしい。
決まった時間帯にはいつも程よく疲労が現れ始めた。基本的にターミナルからミカド国へ戻っては身体を休めるようにしていたが、そのターミナルからも距離が離れていた時は戻るのにも一苦労だ。
集中力が散漫になっては、いつどこで悪魔が飛び出してくるかわからない東京でやっていくことができないだろうと、適当な場所で仮眠をとることを提案し始めたのはヨナタンだっただろうか。そして今はまさに、その仮眠の真っ最中であった。ひやりとした空気に身震いをして、イザボーはゆるやかに覚醒した。
壁に寄りかかって座るような形で眠っていた身体はやや固まっていたが、眠る前に比べれば格段に疲れが取れたような気がする。
近くで同じように眠っているワルターやヨナタンを起こさないようにイザボーは静かに立ち上がり、近くのベンチに座っているであろう彼のもとへ歩みを進めた。ここが阿修羅会の管理する新宿御苑の農園の内とはいえ、一歩外に出てしまえばそこは悪魔の無法地帯だ。それを差し置いても何かしらの不都合が発生したときに誰も彼もが寝ていたのでは話にならない。そこで、仮眠するときには最低でも一人は見張りとして起きていることにしたのだ。今回最初の見張り役を引き受けたのはフリンだった。

「……何か変わったことは起きていなくて?」

その声に高めに結われた髪が揺らぎ、後ろを振り返った。

「イザボー……?起きたのか。交代には少し早いんじゃないか」
「今更二度寝するには目が冴えてしまったわ」

隣、いいかしら?と言いながらイザボーはフリンの横に座った。

「私達が眠っている間、暇だったのではなくて?何かしていたの?」
「特に……バロウズと話して、仲魔の様子を見て……ああ、天井を眺めてた」
「天井……?」

天井を仰ぎ見るフリンと同じように、イザボーも顔を上げた。

「こうして眺めていると青空が恋しくなってきますわね……それとも他に何か見えたのかしら?」
「いや、そういうわけじゃ……ないんだけど……少し気になる事を言われたから」
「気になること?」
「今さっきイザボーが言ったことにも関わってくるかな……仮眠を取る前に皆で手分けしてチャレンジクエストをこなしただろう?あの時に上野の地下街で会った人から、『君達からお日様の匂いがする』ってしきりに言われたんだ」
「私達から……お日様の匂い……?」

思わず自分の服の袖を鼻に近づけてしまったが、いつも上着に忍ばせている香り袋の匂いがしただけで、『お日様の匂い』とやらが何を指しているのかはわからなかった。

「ああ……それもあるんだけど、一番気になってるのはそのあとかな……その人が言うには、25年前まで東京はこんな天井に覆われてなんかいなくて、青空が見えていたって」
「25年前……?でもそれは……、」

フリンが言わんとしている疑問がわかってきた。この東京は自分達が住まう東のミカド国の下に広がっている。仮に東京にこの天井がなかった頃があるというならば、その時東のミカド国もなかったということになるだろう。

「矛盾……しているわ。25年前なんてそう昔の事ではないでしょう。私達の両親の世代には東のミカド国がなかったことになってしまうもの」
「……グレゴリ歴1492年……、だもんな」

そうだよな……と一人ごちるフリンを横目にイザボーは続ける。

「その方の妄言だということではないの?」
「ん、……そう思ってたんだけどな……嘘を言ってるようにも見えなくて……なんだろう、東京に来てから、いや……サムライになってから何かにつけて頭に引っ掛かるんだ、いろんなことがありすぎたからかな、ずっと変な感じだ……」

そんな言葉を聞いてイザボーはきゅうと胸が締め付けられるような気がしていた。サムライになってまもなく悪魔に故郷を蹂躙され、両親を殺され、生きていたと喜んだ友をも自らの手でとどめを刺さねばならなかった彼のことを考えると、何も言えなかった。沈黙を否と受け取ったのか、フリンはばつが悪そうにイザボーを見た。

「悪い……変な話振った……」
「そ、そんなことないわ!お願いだから謝らないで頂戴」
「いや、こっちこそ…………ふぁ、」

話ながら欠伸が漏れたフリンを見てハッとする。

「ほら、もう私と交代して、早く仮眠をとってきて。貴方ってば難しいことばかり考えて、もっと疲れてしまったのではなくて?」
「でも……イザボー、一人で……」
「見くびらないで、私も立派なサムライよ。少々悪魔が襲ってきたところで対処くらいできますわ。それに……無理はしないわ。何かあればすぐに貴方達を呼びに行くから」
「だよな……ごめん、ありがとう」

フリンはベンチから腰を上げ、立ち上がった。

「ああそうだわフリン、寝る前にさっき見つけた毛布をかけて眠った方がいいわ。良ければ向こうの二人にもかけてあげてくれないかしら?動いていると気にならないのだけど、じっとしているとここは冷えるの。特にワルター、あんな風に制服を着崩してお腹を出していたら、見てるこっちまで寒くなってくるわ……」

呆れた声音でそう伝えると先程まで眉をひそめていたフリンの表情が少し和らいだ。

「……なんだかんだ言ってるけど、やっぱりイザボーは優しいよな」
「なッ……そんな、私は別に……!」
「毛布の件、了解」

指摘されて途端に羞恥に苛まれ慌てふためいているイザボーを余所に、フリンは踵を返そうとした。

「あっ、フリン!」
「ん?」
「おやすみなさい、いい夢を」

サムライになる前、両親がいつも自分に声をかけてくれたようにフリンに挨拶をしたが、当の本人からすぐに反応が返ってこなかった。訝しんで見つめていると、フリンは何か言いたげに口を開けて、閉じた。

「フリン?」
「いや、何でもない……」

嘘だ、何か言おうとしていたはずだ。と感じたが、これ以上問い詰めてしまうと頑なに口も心も閉ざしてしまいそうな気がして、寸でのところでやめた。

「うん……おやすみ」

視線を下の方に向けながら呟いて、そのまま二人が眠っているだろう方向に向かって歩いていくフリンをイザボーはただ眺めていた。付き合いとしては短いが、ワルターやヨナタンと共に様々な出来事を乗り越えてきた同胞なのだ。フリンの人となりはなんとなく理解してきているつもりだった。少なくともこんな含んだ物言いをするような人間ではなかった気がしていたのだが……。

「……わかった気になってはいけないわね。彼にもきっと、いろいろと思うところがあるのよね」

ふう、と溜め息をこぼし天井を見やった。代わり映えのしない岩盤の空が広がっているのを確認して、見張りの番を務めることに気持ちを切り替えた。

「おやすみなさい、いい……夢を」

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