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OISHII
LIFE
PLAN:2
『刮目して迎えよ、夜半の境界。』
「アンタ、こんな夜遅くに何を?」
少し頭を冷やすために外に出ようと、他の寝静まった客や宿の者達を起こしてしまわないように極力静かに扉に手をかけたつもりだったが、もとより起きていた者がいたらしい。奥から出てきた宿の主へ向き直る。
「起こしてしまいましたか、申し訳ない。少し眠れませんで、外の空気を……すぐ戻りますから」
見逃してくれ、と暗に伝えると主はやや渋々といったところであったが承諾してくれた。
「しかしアンタ、気をつけてくれよ。この辺も最近物騒なんだ……前はこんなことは無かったのになぁ……」
最後の方は自分に向けられたというよりも独り言のようだったが、どうやら今日ここへ来た時に聞いた例の話のことを指しているらしい。そんな事は重々承知だ。むしろ、自身の目的に即していたらこそ此処に来たのだった。
「……わかっております。これでも腕には覚えがある方なんですがね、一応」
このまま此処に留まっていたら相手の気が変わりかねない、愛想笑いを交えつつ私はそそくさと宿を後にした。
静まり返った町並みを横目にあてもなく歩を進める。こうして一人物思いに耽っていると、様々な感情が去来した。此処に着いてから聞いたあの話、至るまでの道程、自身が討つべき対象を知った時、氏郷様が……死んだあの日のこと。
師を、大切な人を───永遠に喪った絶望と、怒りと……そして真実に辿り着かんと思う強い感情だけが、自分を突き動かしている。これは所謂仇討ちの様なものであり、側から見れば不毛な行為だと思われようとも…それを今更変えようとも思えなかった。そして勿論、ただ闇雲に動き回っていたわけではない。ここまでに剣技も、氏郷様から伝授された式札を用いた鬼の使役術に関しても、たゆまぬ努力を続け、いつ何時その時が来ても準備が出来る様立ち回ってきた。その中で得られる情報は例え些末な噂話であっても極力耳を傾け、あの悲劇の後ろにいたであろう”奴”の姿を探した。
そうして辿り着いたこの町には今、異様な事件が立て続いて起き、人々を恐怖に陥れている。恐らくこの場所ではきっと、”奴”に関するまたとない手掛かりを得ることができるであろうと……、そう感じていた。
……そろそろ戻らねば。来た道を帰ろうと振り返った時、ふと、町の少し外れを通る川面に浮かぶ月が目についた。
「そういえば、今夜は満月だったのか……」
通りで明るく歩きやすいと思った。
そんなことにも気付かぬくらいに思考に没頭していたらしい。やれやれ、風情も何も無いな…と自嘲しつつ、月を眺めて行こうかと橋の欄干に近付く───、
「……貴様が、我の事を嗅ぎ回っている男か」
虫一匹鳴くことも許されぬ、静寂に支配されたはずの夜を仰々しい声が一辺に切り裂く。身体中の血が全て足元から流れ出してしまったかの様に一気に冷え切った。
刀の柄を掴んだと同時に振り抜く。いける、この速さなら相手に先手を講じられることもなく懐に潜り込める、
はずだった。
声の主は既に自分の目と鼻の先へ距離を詰めていた。それはおおよそ人とは思えぬ速さであった。
……”人”とは思えぬ……?
自分が抜いた刀は辛うじて相手の刃を捉えたが、余りの一撃の重さに立っているのすらやっとの状態だった。
「ぐ、うぅ……ッ!」
思わず呻き声が漏れる、腹に力を入れて何とか態勢を立て直そうとするがびくともしない。足が地を滑る。
「ほう、我の一太刀を止められたか。貴様はなかなか見込みがある人間らしい」
せせら嗤う様に此方の太刀筋を評価する男、最初に見た瞬間は月明かりの陰になって姿が伺えないのだと思っていたが……目の前に対峙して其れが誤りであった事に気付かされた。男の肌は漆黒で、瞳は血溜まりの如く赤く、その形相はこの世のあらゆるものを破壊し尽くさんと辞さぬ憤怒を湛えていた。それは世辞にも人とは呼べず、町屋が立ち並ぶこの場に置いて一等かけ離れた異質な存在だった。
そしてそれは………自身が探し求めていた存在、仇敵の伝え聞く姿そのままだった。
「まさか、お前が、黒天………!?」
片時も頭から離れなかった名を零すと奴はフンと鼻を鳴らし、
「我の名を聞く前にまず貴様から名乗ったらどうだ、貴様らの世界の”礼儀”なのであろう?」
と急に此方に押し付けていた太刀を離した。力の入れどころを失くしよろめく身体を叱咤し、急いで後ろへ飛び退いた。
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